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2019年10月23日 (水)

台風第19号(ハギビス)の被害に想う

台風第19号(ハギビス)が日本を襲ってから間もなく10日程経った。
いろいろと考えさせられる台風だったので、思いついたことを取りとめもなく書き連ねてみたい。

まずは、犠牲になった方々、被害に遭った方々にご冥福とお見舞いを申し上げ、一刻も早く普通の生活を取り戻せるようお祈り申し上げます。

こんなに広範囲に災害をもたらした台風は、記録の残っている範囲では初めてらしい。自分にとっても衝撃的な規模、範囲だった。堤防の決壊も多くの場所で起きた。

この台風は、その強さや大きさが早い段階から警戒されていたが、進路予報の精度が今までになく高かった。
一般的にも台風予報の精度は年々上がってきてはいるのだが、個々の台風については精度にばらつきがある。そんな中で、19号のの予報円の半径はかつてないほど小さく、実際の進路も予報から殆ど外れていなかった。進路予報が正確だったということは、おそらく降水量なり風速なりの精度も高かったに違いない。そんな精度の高い予報があっても、災害の発生は防げず、ある意味、天気予報の無力さに唖然とさせられた。誤解の無いように言っておくが、天気予報が役に立たないという意味ではない。一定の規模を超えた尋常でない気象現象が災害を起こしてしまうのを防ぐという観点において無力だという意味である。

一方、予報の伝え方はどうだっただろう。暴風域が大きかったせいなのか、千葉県などに大きな風害をもたらした台風第15号の記憶のせいなのか、雨よりも風の備えばかり強調された予報解説が多かったように思うが、蓋を開ければ雨による災害が圧倒的に多かった。台風の北には前線があり、台風の雨に先行して前線の雨が降り始める状況で、私は自社ウェブでの天気予報等で雨への警戒を風より優先して表現したが、残念ながら、私が見聞きしたテレビ・ラジオ等で、前線による雨の警戒の呼びかけを、番組内の予報解説では全くと言っていいほど聞かなかった。情報の伝え方に課題を残したように思う。


ここ数年、大きな災害が起こるたびに「地球温暖化により、今までにはない想定外の状態が増えてきている」といったような論調の話をよく聞くが、必ずのように「想定外」「想定以上」という言葉が使われる。本当に想定外なのだろうか。これに関しては大いに疑問に思う。

例えば堤防の決壊に関し、「想定を超えた雨で決壊した」といった評論を聞くが、そもそも堤防の設計には“想定”ではなく“基準”がある。堤防にもよるが、例えば50年に一度の“確率雨量”(に対応する流量)があったときに推定される計算上の水位等、いくつかの基準となる水位があり、それより高く堤防の高さを設計する。この設計基準だと、50年に一度程度の大雨には耐えられるが、100年に一度の大雨が降れば設計基準を超える水位となり、越流(結果として決壊)することになる。ダムの緊急放流も同じことだ。そして、この100年に一度、1000年に一度の大雨はいつか必ず起きるのであり、それがたまたまこの間だった、というに過ぎない。それがどこで起こるかは別にして、堤防はいつか必ず決壊するのだ。新しい堤防でもこの事情は変わらない。老朽化した堤防よりは決壊しにくだろうが、新しかろうが古かろうが設計基準を超える雨が降れば決壊する可能性があることには変わりない。つまり、基準越えがいつか起こることは想定されているのだ。

基準をもっと高くして、災害が起こらないようにすべき、というようなことを言う評論家もいる。わかっていない。
50年に一度の雨量基準で設計された堤防が、100年に一度の現象には耐えられないのと同様で、100年に一度の雨量に基準を上げても200年に一度の大雨には耐えられないし、200年に一度の雨量を基準にしても1000年に一度の大雨には耐えられない。どんなに高い基準にしたところで、堤防はいつかは決壊する。1000年に一度の設計なら大丈夫だろうと思う人もいるかも知れないが、そんなことはない。人生100年とすれば、(統計学的には正しくないが)単純計算で、一生のうち、1/10の確率、即ち(税率は確率ではないが細かいことはさておいて)消費税の10%と同じくらい高い確率で1000年に一度の大雨に遭遇するのだ。大災害を引き起こすような1000年に一度の自然災害に遭遇することがあることは、東日本大震災で経験済みのはずだ。基準を高めれば災害は減るかも知れないが、完全に無くすことはできない。自然を舐めてはいけない。

「想定以上」、正確には「基準以上」は必ず起こるとわかっていることであり、つまり想定されている。基準の設定は、費用対効果などを勘案し、どの程度で手を打つかという問題に過ぎない。そもそも、基準以上が想定されているからこそハザードマップがある。堤防で100%防げるなら、浸水害のハザードマップなど作る必要はないのだから。
更にいうと、今以上に基準を上げて堤防を設計することは事実上不可能だろう。現在ですら河川改修、護岸工事ができていない川は沢山あり、既存の堤防も基準を上げて作り直すとなれば、予算の制限もあり、いつ終わるかわからない。今の税率ではお金が全く足りないだろう。更に、堤防は一度作れば終わりではない。老朽化したら直さなくてはならない。永久に金が掛かり続けるのだ。掛けるお金より、対策しなかったときに受ける被害額の方が小さいならば、つまり費用対効果が1未満ならば、そもそも金をかけて対策する意味がない。直接被害補償をした方が安上がりだからだ。余談だが、河川改修は一種の自然破壊でもあることも忘れてはならない。
防災を考えるとき、かくのごとくハードの強化には限界がある。どんなにハードを強化しても、減災はできても災害を無くすことはできない。また、ハードを強化し、例えば堤防を高くすれば被災回数は減るだろうが、いざ被災した場合の被害は大きくなる。水位がより高くなり、水がエネルギーを増し、流出する勢いも、量も増大することになるからだ。被災経験数も減って、心構えの衰退にも繋がるだろう。これからは、ハードよりソフトの強化に重点を移すべきだろう。

多摩川で、堤防のないところで川が溢れ、浸水した。景観が大事で堤防を作らなかったのだとか。事実とすれば驚きだ。自分(住民)の身の安全より景観保護の方が大事なのだろうか。ここにも、「堤防などつくらなくても、自分は水害には遭わない」という正常化バイアスがかかっているように思えてならない。今回の災害とは関係ないが、自分の住んでいるところを「土地の資産価値が減るから災害危険区域に指定するな」という住民の声もあるそうだ。地域住民や自分の身の安全より、自分の資産の方が大事なのだろうか。人間の欲深さ、業の深さには呆れるばかりだ。

ところで、今回の堤防決壊の多くは、越流することで堤防の堤内地側(川と反対側・街側)で洗掘が起こり、決壊につながったようだ。決壊すれば、ただの越流よりも一度に大量の水が勢いよく流れる。ならば50年に1回の越流は仕方ないとして、堤内地側の法面や堤頂を、洗掘が起きにくいように舗装等を施してはどうだろう。これにはそれほどの費用はかからないと思うのだが。
更に、堤防の高さの基準に、河川の曲線部や、バックウォーターが発生しやすい合流部・狭小区間のすぐ上流部などでは、他の地点より高くする、或いは強固にするなどの項目はあるのだろうか。もし無いのならば追加すべきと思う。(ため池下流の用排水路(事実上の小川)を土水路から三面張りの水路に改修する設計を担ったことがあるが、記憶の範囲では、自分の考えで配慮はしたが“高さを追加する基準”があった記憶はない。)

ところで、大雨特別警報が解除されてから氾濫発生情報が発表されたことがニュースになっている。これがなぜニュースになるのか理解に苦しむ。基準が違うのだから当然あり得ることだ。とはいえ、それを一般の人に理解しろというのは酷な話。特別警報が解除されたために自宅に戻った人もいるとか。うーん、特別警報が解除されても警報は出ているでしょうに。やはり、いろいろな情報の正しい理解は必須であり、大事である。防災情報の理解を広め、深めることも防災活動であり、防災のソフト面の一つだろう。どんなに情報を出す側が工夫をこらしても、受け手がその意味を理解していないのでは情報発表の意味や効果が半減する。残念でならない。

ダムの緊急放流、まだ1時間あるからと風呂に入っていたら30分早まったといって怒って?いる人がいた。私には理解不能な行動だ。避難には時間がかかるだろうに。増してや大雨で、避難経路はいつもとは違う状況になっている可能性が高く、避難中に何が起こるかわからない。家が浸水してしまったときに備え、1階の物を2階に上げておくとか、やることはいくらでもあるだろうに。延期された5時間前の緊急放流の発表もあったわけだし、何故早めに行動せず風呂なのだろうか。どうも考えが甘い方が多いように見えて残念だ。やはり啓蒙活動が重要なように思える。

更に、大雨に先立ってのダムの事前放流はいくらでもできるわけではないらしい。多目的ダムであれば、水力発電、農業用水、工業用水、水道用など、洪水調節以外の目的分は事前放流を簡単にできない。なんと馬鹿らしいことか。縦割りとか、権利の主張とか、つまらないしがらみは横に置いて防災のために協力したらよいではないか。自分たちの権利さえ守れれば、他人はどうなってもよいとでもいうのか。国は、こういった仕組みの改善に取り組んでもらいたい。

脈絡なく、思ったことをダラダラ書き綴ってしまったが、防災とは難しいものだと思った。まだまだ改善できることがあるように思うので、国や自治体には真剣に取り組んでもらいたい。また、市民の意識改革も必要だろう。

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