2019年12月29日 (日)

AIを考える(美空ひばりの「あれから」を聴いて)

母は歌が好きだ。一日中ラジオをかけて、歌が流れてくれば、知ってる歌はもちろん、知らない歌でも鼻歌で合わせ始める。ただ好きなだけで、音楽の知識があるわけではない。

先日、某放送局の番組で、AIが合成をした美空ひばりの声で、「あれから」という新曲の演奏が放映された。食事中であったこともあってか母の鼻歌は出なかった。いや、それどころか、「これ、ひばりの声じゃないね」「ああ、これ嫌だ」との声が漏れてきた。私も同感で、聴き心地が悪かった。ところがである、演奏会場の進行役のアナウンサーは泣き崩れ、振り付けCGの作成に関わった歌手の方も感涙し、古くからのひばりファン達も感激の表情を隠さず、ひばりさんの息子さんも(曲にというより時代の変化にという感はあったが)驚きを隠せないようであった。

なぜこのような差が出たのだろうか。おそらくは、「ひばりさんに復活して欲しい」「生の歌声をもう一度聴きたい」と強く思っているようなひばりさんへの思い入れの強い人と、そうでもない人との違いが現れたのだろう。母など後者の方が、思い入れの無い分、客観的に歌を聴けていると思う。確かに、ひばりさんぽい歌い方にはなっているし、声質も似ていた。AIは大したものだと思うし、作成に関わった方々のご苦労は大変なものであったようで頭が下がるが、私が点をつけるなら59点。大学の成績評価の優、良、可、不可でいえば、1点足りずに不可、という判定である。いみじくも、作詞した秋元氏が番組内で言っていた「『技術が凄いですね』だと人の心は打たない」に留まったように思うのである。ひばりさんへの思い入れが強い人たちなど心を打たれた人も少なくないが、少なくても母や私の心は打たなかったからである。ではなぜ母や私の心を打たなかったのか。

私が「あれから」を聴いて真っ先に感じたのは、ひばりさんはこんな歌い方をしない、ということである。番組でAIをどう使ったかを見て合点がいった。歌の合成には4種類の観点、即ち、音程、ビブラート、タイミング、音色をそれぞれAIに分析させ、それらを組み合わせたとのことだ。はじめはピンとこない歌声だったようだが、AIの関わり方の重みを変えてあの歌になったようである。しかし、私には最も大事な観点が欠けているように思える。それは歌詞の意味や言葉と、歌い方の関係のAI分析だ。どこにビブラートをかけるか、どこで楽譜の音符より音を伸ばすか縮めるか、微妙にフラットさせるかなどは、旋律よりも、歌詞からの影響の方が大きいと思うのだ。歌詞の意味までAIに分析させるには時間や学習させるデータの収集、選定など、難しい問題も多いだろうから簡単ではなかろうが、人間が歌を歌うとき、歌詞の意味を考えないで歌うプロ歌手は殆どいないだろう。この観点が抜けては、万人の心打つ歌い方にはなるまい。

しかし、ここに、AIの限界と可能性の両方をみた気がする。不十分なデータしか与えなかったり、分析の観点が適当でなければいい結果は得られないし、逆にこれらを揃えれば、いくらでもいいものができるだろうということだ。「人間がAIに使われることになる」と言う方もいるが、そうではなかろう。AIに何をさせるかは、やはり人間が考えて指示するのだから。是非、この観点もAIに学習、分析させたAIひばりの歌は聴いてみたいものだ。

気象の世界でも、将来はAIが人間に変わって天気予報をすることになるだろう。今は力学的手法でスーパーコンピュータが数値予報という手法で予想値を出力し、更に統計的手法を用いたガイダンスという予報支援資料が出力されて、それを気象予報士等が解釈、修正して天気予報が出されているが、AIが導入されればガイダンスは大幅に変更、高性能化し、場合によっては数値予報自体が取って代わられるかも知れない。それには、過去の観測値をいかに学習させるかが大事になるが、歌とは違い、歌詞の意味を考えるような人間の感情等が入る余地がない分、AIは大活躍するに違いない。世の気象予報士は押しなべて失業するかも知れない。

あと2日で大晦日。AIひばりの「あれから」も紅白で流れるそうだ。私はここ何年も紅白を見ていないので「あれから」を聴くことはないだろうが、興味のある方は是非聴いてみていただきたい。果たしてあなたは心打たれるだろうか、それとも・・・。

 

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2019年10月23日 (水)

台風第19号(ハギビス)の被害に想う

台風第19号(ハギビス)が日本を襲ってから間もなく10日程経った。
いろいろと考えさせられる台風だったので、思いついたことを取りとめもなく書き連ねてみたい。

まずは、犠牲になった方々、被害に遭った方々にご冥福とお見舞いを申し上げ、一刻も早く普通の生活を取り戻せるようお祈り申し上げます。

こんなに広範囲に災害をもたらした台風は、記録の残っている範囲では初めてらしい。自分にとっても衝撃的な規模、範囲だった。堤防の決壊も多くの場所で起きた。

この台風は、その強さや大きさが早い段階から警戒されていたが、進路予報の精度が今までになく高かった。
一般的にも台風予報の精度は年々上がってきてはいるのだが、個々の台風については精度にばらつきがある。そんな中で、19号のの予報円の半径はかつてないほど小さく、実際の進路も予報から殆ど外れていなかった。進路予報が正確だったということは、おそらく降水量なり風速なりの精度も高かったに違いない。そんな精度の高い予報があっても、災害の発生は防げず、ある意味、天気予報の無力さに唖然とさせられた。誤解の無いように言っておくが、天気予報が役に立たないという意味ではない。一定の規模を超えた尋常でない気象現象が災害を起こしてしまうのを防ぐという観点において無力だという意味である。

一方、予報の伝え方はどうだっただろう。暴風域が大きかったせいなのか、千葉県などに大きな風害をもたらした台風第15号の記憶のせいなのか、雨よりも風の備えばかり強調された予報解説が多かったように思うが、蓋を開ければ雨による災害が圧倒的に多かった。台風の北には前線があり、台風の雨に先行して前線の雨が降り始める状況で、私は自社ウェブでの天気予報等で雨への警戒を風より優先して表現したが、残念ながら、私が見聞きしたテレビ・ラジオ等で、前線による雨の警戒の呼びかけを、番組内の予報解説では全くと言っていいほど聞かなかった。情報の伝え方に課題を残したように思う。


ここ数年、大きな災害が起こるたびに「地球温暖化により、今までにはない想定外の状態が増えてきている」といったような論調の話をよく聞くが、必ずのように「想定外」「想定以上」という言葉が使われる。本当に想定外なのだろうか。これに関しては大いに疑問に思う。

例えば堤防の決壊に関し、「想定を超えた雨で決壊した」といった評論を聞くが、そもそも堤防の設計には“想定”ではなく“基準”がある。堤防にもよるが、例えば50年に一度の“確率雨量”(に対応する流量)があったときに推定される計算上の水位等、いくつかの基準となる水位があり、それより高く堤防の高さを設計する。この設計基準だと、50年に一度程度の大雨には耐えられるが、100年に一度の大雨が降れば設計基準を超える水位となり、越流(結果として決壊)することになる。ダムの緊急放流も同じことだ。そして、この100年に一度、1000年に一度の大雨はいつか必ず起きるのであり、それがたまたまこの間だった、というに過ぎない。それがどこで起こるかは別にして、堤防はいつか必ず決壊するのだ。新しい堤防でもこの事情は変わらない。老朽化した堤防よりは決壊しにくだろうが、新しかろうが古かろうが設計基準を超える雨が降れば決壊する可能性があることには変わりない。つまり、基準越えがいつか起こることは想定されているのだ。

基準をもっと高くして、災害が起こらないようにすべき、というようなことを言う評論家もいる。わかっていない。
50年に一度の雨量基準で設計された堤防が、100年に一度の現象には耐えられないのと同様で、100年に一度の雨量に基準を上げても200年に一度の大雨には耐えられないし、200年に一度の雨量を基準にしても1000年に一度の大雨には耐えられない。どんなに高い基準にしたところで、堤防はいつかは決壊する。1000年に一度の設計なら大丈夫だろうと思う人もいるかも知れないが、そんなことはない。人生100年とすれば、(統計学的には正しくないが)単純計算で、一生のうち、1/10の確率、即ち(税率は確率ではないが細かいことはさておいて)消費税の10%と同じくらい高い確率で1000年に一度の大雨に遭遇するのだ。大災害を引き起こすような1000年に一度の自然災害に遭遇することがあることは、東日本大震災で経験済みのはずだ。基準を高めれば災害は減るかも知れないが、完全に無くすことはできない。自然を舐めてはいけない。

「想定以上」、正確には「基準以上」は必ず起こるとわかっていることであり、つまり想定されている。基準の設定は、費用対効果などを勘案し、どの程度で手を打つかという問題に過ぎない。そもそも、基準以上が想定されているからこそハザードマップがある。堤防で100%防げるなら、浸水害のハザードマップなど作る必要はないのだから。
更にいうと、今以上に基準を上げて堤防を設計することは事実上不可能だろう。現在ですら河川改修、護岸工事ができていない川は沢山あり、既存の堤防も基準を上げて作り直すとなれば、予算の制限もあり、いつ終わるかわからない。今の税率ではお金が全く足りないだろう。更に、堤防は一度作れば終わりではない。老朽化したら直さなくてはならない。永久に金が掛かり続けるのだ。掛けるお金より、対策しなかったときに受ける被害額の方が小さいならば、つまり費用対効果が1未満ならば、そもそも金をかけて対策する意味がない。直接被害補償をした方が安上がりだからだ。余談だが、河川改修は一種の自然破壊でもあることも忘れてはならない。
防災を考えるとき、かくのごとくハードの強化には限界がある。どんなにハードを強化しても、減災はできても災害を無くすことはできない。また、ハードを強化し、例えば堤防を高くすれば被災回数は減るだろうが、いざ被災した場合の被害は大きくなる。水位がより高くなり、水がエネルギーを増し、流出する勢いも、量も増大することになるからだ。被災経験数も減って、心構えの衰退にも繋がるだろう。これからは、ハードよりソフトの強化に重点を移すべきだろう。

多摩川で、堤防のないところで川が溢れ、浸水した。景観が大事で堤防を作らなかったのだとか。事実とすれば驚きだ。自分(住民)の身の安全より景観保護の方が大事なのだろうか。ここにも、「堤防などつくらなくても、自分は水害には遭わない」という正常化バイアスがかかっているように思えてならない。今回の災害とは関係ないが、自分の住んでいるところを「土地の資産価値が減るから災害危険区域に指定するな」という住民の声もあるそうだ。地域住民や自分の身の安全より、自分の資産の方が大事なのだろうか。人間の欲深さ、業の深さには呆れるばかりだ。

ところで、今回の堤防決壊の多くは、越流することで堤防の堤内地側(川と反対側・街側)で洗掘が起こり、決壊につながったようだ。決壊すれば、ただの越流よりも一度に大量の水が勢いよく流れる。ならば50年に1回の越流は仕方ないとして、堤内地側の法面や堤頂を、洗掘が起きにくいように舗装等を施してはどうだろう。これにはそれほどの費用はかからないと思うのだが。
更に、堤防の高さの基準に、河川の曲線部や、バックウォーターが発生しやすい合流部・狭小区間のすぐ上流部などでは、他の地点より高くする、或いは強固にするなどの項目はあるのだろうか。もし無いのならば追加すべきと思う。(ため池下流の用排水路(事実上の小川)を土水路から三面張りの水路に改修する設計を担ったことがあるが、記憶の範囲では、自分の考えで配慮はしたが“高さを追加する基準”があった記憶はない。)

ところで、大雨特別警報が解除されてから氾濫発生情報が発表されたことがニュースになっている。これがなぜニュースになるのか理解に苦しむ。基準が違うのだから当然あり得ることだ。とはいえ、それを一般の人に理解しろというのは酷な話。特別警報が解除されたために自宅に戻った人もいるとか。うーん、特別警報が解除されても警報は出ているでしょうに。やはり、いろいろな情報の正しい理解は必須であり、大事である。防災情報の理解を広め、深めることも防災活動であり、防災のソフト面の一つだろう。どんなに情報を出す側が工夫をこらしても、受け手がその意味を理解していないのでは情報発表の意味や効果が半減する。残念でならない。

ダムの緊急放流、まだ1時間あるからと風呂に入っていたら30分早まったといって怒って?いる人がいた。私には理解不能な行動だ。避難には時間がかかるだろうに。増してや大雨で、避難経路はいつもとは違う状況になっている可能性が高く、避難中に何が起こるかわからない。家が浸水してしまったときに備え、1階の物を2階に上げておくとか、やることはいくらでもあるだろうに。延期された5時間前の緊急放流の発表もあったわけだし、何故早めに行動せず風呂なのだろうか。どうも考えが甘い方が多いように見えて残念だ。やはり啓蒙活動が重要なように思える。

更に、大雨に先立ってのダムの事前放流はいくらでもできるわけではないらしい。多目的ダムであれば、水力発電、農業用水、工業用水、水道用など、洪水調節以外の目的分は事前放流を簡単にできない。なんと馬鹿らしいことか。縦割りとか、権利の主張とか、つまらないしがらみは横に置いて防災のために協力したらよいではないか。自分たちの権利さえ守れれば、他人はどうなってもよいとでもいうのか。国は、こういった仕組みの改善に取り組んでもらいたい。

脈絡なく、思ったことをダラダラ書き綴ってしまったが、防災とは難しいものだと思った。まだまだ改善できることがあるように思うので、国や自治体には真剣に取り組んでもらいたい。また、市民の意識改革も必要だろう。

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2018年8月11日 (土)

「異常気象」徹底究明、ちょっと待った(その5)

最後も竹田恒泰氏の発言から。
今回取り上げる発言は、半分ネタのようではあるが。


温暖化になったら森林増えるでしょうが。」

そうかも知れない。
しかし、おそらく砂漠も増える
自論に都合のいい部分だけピックアップしても駄目だ。
そして、森林が増える緯度帯よりも
砂漠が増える緯度帯の方が低緯度で、
同じ緯度の幅ならば、低緯度の方が面積が広いので、
トータルで森林が増えるかどうかはわからない


平安時代の気候がわかる理由の説明で
南極のボーリングで大体気温がわかる
という発言もあった。

残念ながら、南極のボーリングでは、
南極付近の気候しか明確にはわからない
地球全体を代表している可能性もあるが、
そうではないかも知れない。
森本敏氏の「年輪でわかる」の方が当を得ている。


「(温暖化が進めば)ツンドラっていうシベリアの
全く生産性のない凍てついた土地が全部農地になる

という発言もあった。

生産性”に関しては、
某議員の暴言にひっかけたネタであろうが、
人のあまり住んでいない地域で
全部農地化はかなり無理がある。
竹田氏は興奮すると、ネタなのか
こういう極論を口にする悪い癖があるようだ。


少し話が逸れるが、
ツンドラ地帯には多量のメタンガスが埋まっているそうだ。
メタンは二酸化炭素の25倍の温室効果があるので、
永久凍土が解け、メタンが大量に大気中に放出されると、
地球温暖化は加速されるかもしれない

しかし、この地域にメタンガスが大量にあるということは、
大昔は高密度に動植物が生息していたことになるだろう。
温暖化が進むということは、
そういう時代に戻るだけということになるかも知れない。

竹田氏のいうような全部農地になることはなくても、
豊かな森林地帯として復活?する可能性はある。
だから、温暖化が進んでもよい、と、
竹田氏は言いたかったのだろうか。


ちょっと話題が逸れた。
脱線ついてにさらにもうひとつ。

ここ数千年を振り返ると、
寒冷期
(小氷期というべきか)
温暖期が繰り返されていた


ごくごく大雑把にいえば、
縄文時代は温暖期
縄文時代の終わり頃から弥生時代頃までは寒冷期
古墳時代は概ね温暖期
古墳時代の終わり頃から飛鳥時代までは寒冷期
奈良・平安・鎌倉・室町初期は温暖期
室町中期から昭和初期まで寒冷期
そして今は、寒冷期から温暖期への移行期か?

これらの温暖期に何が起きていたか。

縄文時代、関東平野のかなりの部分は海だった。
縄文海進といわれ、貝塚で証明されている。

新潟平野の調査によると、
奈良、平安時代の遺跡数は急増するらしいが、
温暖期真っ盛りの平安末期から鎌倉時代にかけて、
遺跡はまったくの空白となる。
寒冷化した室町時代になると、
再び平野の遺跡数は増加するのだそうだ。
おそらく、温暖期に海進があったのだろう

人間の多くは、特に国土の狭い日本では、
その多くが平野部に住んでいる。
もし温暖化で海進が進むなら
日本は大きなダメージを受けるに違いない。
移住や再開発などを考えれば、
政治・経済面でも温暖化のスピードを抑え、
じっくりと気候変動に適応してく必要があるだろう。
極端気象を抑える意味でも必要だろう。


地球温暖化が、人為起源であろうと、
そうではなく、自然の気候変動によるものであろうと、
これを止める、いや遅らせる努力は必要ではないだろうか。

その方法としては、
大気中の二酸化炭素濃度を下げることと、
アルベト(太陽エネルギーの反射能)を上げること
くらいしか私には思いつかない。
今後の新しい知恵と工夫に期待したい。


最後は番組とあまり関係のない話になってしまった。
殆ど生産性のない記事になってしまったことを
深くお詫び申し上げます。

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2018年8月10日 (金)

「異常気象」徹底究明、ちょっと待った(その4)

引き続き、竹田恒泰氏の発言から


地球上で一番二酸化炭素を出しているのが植物
二番目が海です。
そして全地球の中で人間が出している二酸化炭素の総量は
全体の3%なんです。
これを0にしたって変わらんでしょう、そんなもの。」

えっ、“排出”の一番が植物?
光合成で二酸化炭素を“吸収”し、酸素を排出する植物が??
竹田氏の何かの勘違いだろうか。
それとも、私の知識が欠けているのか
よくわからないので、ここは氏の発言を示しておくに留め、
お詳しい方からの助言を待ちたいと思う。


海からの排出量が人間より圧倒的に多いのはそのとおり。
だが同時に、海の吸収量も非常に大きい
問題にすべきは総排出量ではなく、
総吸収量との差、すなわち収支である。

もし、海からの排出量と吸収量が同じなら、
そのそれぞれがどれだけ大きくても、
海の大気内の二酸化炭素量の変化に対する寄与は
ゼロと考えなくてはならない。
実際には、海の二酸化炭素の吸収・排出量は、
いずれも大気中の二酸化炭素量に応じて変化し、
バランスを保つバッファー(調整機能)になっている。
このバッファーの大きさに対して、
人間の排出量がどうなのか、
調整機能の限界を超えていないのか
が真の問題だろう。

整理すると、竹田氏のいう、総排出量には殆ど意味はなく
収支のバランスやバッファーの大きさが問題なのである。
調整機能の限界を超えてしまってバランスが崩れ、
大気中の二酸化炭素濃度が増える方向に向かっているのなら、
そのバランスを崩している原因が何なのかが問題となる。

それが人為的な原因かどうかは私にも判断できないし、
誰にもわからないし、おそらく結論も出ないだろう。
蓬莱氏の言うとおり、
状況証拠としては人為原因の可能性が高いとは思うが、
結論の出ないことを議論しても時間の無駄というものだろう。

二酸化炭素濃度の上昇原因が人間にあろうとなかろうと、
二酸化炭素濃度が上昇しつつあることは観測上の事実で、
その温室効果温室効果自体は実験で証明されている)により
地球温暖化が進んでいるとするなら、
人間がそれを減らす努力をしても、
いや、した方がいいのではないだろうか。
それが有効か無駄かは、やってみなくてはわからない。


脇道に逸れるが、
二酸化炭素濃度の上昇によって地球温暖化が進んでいる」のか、
逆に「地球温暖化によって二酸化炭素濃度が上昇している」のか、
という論争もある。
私に言わせれば鶏と卵の関係であって、殆ど意味のない議論だ。
この負?のスパイラルを止める、或いは進行スピードを緩めるために、
人間が排出する二酸化炭素量を減らしてみることは、
試みる価値がある
のではなかろうか。


(つづく)

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2018年8月 9日 (木)

「異常気象」徹底究明、ちょっと待った(その3)

続いて、竹田恒泰氏の発言から


偏西風の蛇行が大きくなるのと極端(気象)になるのと、
(地球)温暖化は関係ない

しかも温暖化なんか(たった)100年で0.7℃でしょ。」

私は竹田氏が嫌いではないので、あまり言いたくはないが、
偏西風蛇行の原因を理解していないようだ。
偏西風の蛇行が大きくなったり、頻繁になったりする理由は
地球温暖化で説明できる


この仕組みについても、このブログの別記事「地球温暖化考
http://soranbe.air-nifty.com/blog/2017/12/index.html
に書いているので、ご参照願いたい。

このことからもわかるとおり、地球温暖化とは、
地球全体の気温が一様に上がるという意味ではない
局地的高温も低温も増えることになるが、
全体の“平均”が上がることになり、
そのことが「地球温暖化」と表現されている。


また、竹田氏は、0.7℃を小さいものと評価しているが、
地球全体の気温を
平均で0.7℃上げるエネルギー量がどれほど大きいものか

考えていないのだろうか。

気象庁の「気温の平年並みの範囲(平年並みの上限と下限の差)」
を見てみると、
例えば夏(6~8月)の場合、最も幅の広い北日本でも
丁度0.7℃しかない。

3か月の平均気温が、
平年並みの上限より高ければ暑夏、
下限より低ければ冷夏と呼ばれることになるが、
平均で0.7℃とは、
暑夏と冷夏の差ほど大きな差
なのである。
いってみれば、現在の平年並みの範囲は、
100年前の暑夏の範囲にすっぽり入っているのである。


百歩譲って、0.7℃が小さい温度差だとしても、
この0.7℃の間に、何らかの閾値が入っていたら大きな変化が起こる。

例えば、水にとって、
20.0℃と20.7℃の差は小さくても
-0.3℃と0.4℃の差は大きい
言うまでもなかろうが、水と氷の相転移が起こるからだ。

例えば、この0.7℃の間に
動植物や細菌等の死滅の限界温度が入っていれば、
今は熱帯地方でしか生きられない細菌や害虫などが、
日本など、より低緯度で生存できるようになるかも知れない

0.7℃は小さい値だから問題ない、とはいえないだろう。


0.7℃の上昇は、過去100年での上昇幅だが、
この上昇が、もしもう100続けば1.4℃の上昇となる。
千歩譲って0.7℃が小さい温度差だとしても、
このペースの上昇がいつまで続いて、
結果として何度上昇して、
その影響で何が起こるかが問題なのであり、
0.7℃という数字は深い意味を持たない。

地球温暖化(というより気候変動)は、
自然環境や、人間の生活環境に
(細菌の例のように)大きな影響を与える可能性があるのだが、
0.7℃の上昇が大きいか小さいかではなく、
それによって
何が起こるのか、起こらないかの研究が重要だろう。
そして、もはや研究で済む時期は過ぎており、
対策が必要なのではないか、と私は思うのである。

(つづく)

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2018年8月 8日 (水)

「異常気象」徹底究明、ちょっと待った(その2)

今回は蓬莱大介氏(気象予報士)の発言(説明)から


蓬莱氏の説明をそのまま全て書くと長くなるので要約すると、
極端気象の振り幅が大きくなり、頻度が上がる原因として
「ヒートアイランド現象と地球温暖化が合わさったことがある」
といった説明がされた。

ちょっと拡大解釈が過ぎる。
その説明は、都市部の異常高温の説明にはなっても
大雪や低温も含めた振り幅の説明にはならない

ヒートアイランドは、都市部の局地的な現象であって、
都市部の局地的な気象現象を説明することはできても

偏西風の蛇行が大きくなる理由や、
広範な線状降水帯、大雪等、広範な現象の原因ではない



空間的、時間的スケールが全く異なるものを、
合わせて説明に使うことにそもそも無理がある


特に、スケールの小さい現象が、
よりスケールの大きい現象の原因である、
という説明は全く不適当
である。
また、スケールの大きい現象は、
よりスケールの小さい現象が起こる環境要因にはなり得ても、
個別の小さい現象の原因にはなり得ない


このことは、このブログの別記事「地球温暖化考」
http://soranbe.air-nifty.com/blog/2017/12/index.html
に書いているので、ご参照いただければありがたい。

そして残念なことに、いろいろな気象現象の説明をするにあたり、
このスケールの概念を念頭に置いた説明をする専門家を
あまり見たことがない。
というより、スケールを無視した無理な説明を見ることが
圧倒的に多い。


なお、蓬莱氏を擁護するとすれば、
ヒートアイランドを起こしている人間の行動(CO2排出等)が、
地球温暖化を促進する一要因となっている“可能性”
否定できないと思う。

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2018年8月 7日 (火)

「異常気象」徹底究明、ちょっと待った(その1)

8月5日放送の、
そこまで言って委員会NP
 今そこにある「異常気象」徹底究明スペシャル!
を見た。

仕事柄、関心の高い内容であり、
いつもよりしっかり見たが、
「ちょっと待ったぁ!」という内容が
少なからずあったので、
それらについて思ったことを書いておきたい。


最初は辛坊治郎氏の発言から

進行役からの話題提供として、わかって言っているのだとは思うが、

『淀川が氾濫したら5m水没します』って、
よくビラが回ってくるんだけど、
淀川(は)氾濫しねぇべ、って思うよね普通

「どうしても逃げないと死ぬぞって、ちゃんと言ってくれよ


こういった考え方や意識が防災の妨げというか、
被害拡大の最も大きな理由の一つだと思う。
そこを掘り下げないで次の話題に行っちゃっては、
この発言はかえってマイナスにならないか。
まあ、この回のテーマ(異常気象)とは少しずれるので、
議論に踏み込めなかったのかも知れないが、
だとすれば言わない方がよかったのではなかろうか。
この発言を「そうだそうだ」と思う視聴者が増えると、
将来の被災者を増やすことになりかねない


ここは(この川は、この堤防は、我が家は)大丈夫、
といった意識が避難を躊躇させ、
あるいは不必要という判断につながり、
結果逃げ遅れることになる。

誰かからの「逃げろ」という指示を待つような、
命を他人に任せるような意識の人は、
真っ先に命を失うと思うので、
そういった住民の意識改革こそ真っ先にすべきだろう。


仮に、いつ何ミリの雨が降るかを1㎡毎の区域で100%当てるような
完璧な予報ができたとしても、
堤防のどこが、いつ、どの程度の規模で決壊するかという予想は
絶対に不可能
だし、
避難指示、避難勧告、特別警報等を、
どんな気象・地震・津波・災害等の状況下でも、
地域にいる人全員に確実に伝える方法などあり得ない



防災では、確実な情報を待つのはいいことではない
混乱した状況では、情報も混乱し、遅れるものだ。
本当に自分の命や財産を守りたければ、
もしもこうだったら、もしもああなったら、
と考え、“念のため”の行動を早めに取るべきだろう。

避難指示が遅いとか、ダムの放流の仕方がおかしいとか、
行政を責めるのは簡単だ。
当然、間違った行政は改めなければならないし、
非効率な行政は見直さなければならないが、
どんなに行政を改革しても、
市民の意識改革なしには高い防災効果は得られないだろう。
これらは防災の両輪だと思う。


いずれこういったことも番組のテーマにして欲しい。

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2018年7月23日 (月)

特別警報、避難指示等、防災ソフトに想う

1か月も間隔が空いてしまった。
西日本を中心に起こってしまった大水害に際して、
感じたことをとりとめもなく書いてみたい。


まずは、犠牲となってしまった方々に哀悼の意を表し、
被災された皆様にお見舞い申し上げ、
復旧、復興に携わられている方々皆様に
敬意を表します。


ちょっと寄り道。
数年前の話だが、
とある報道機関のトップの立場にある方が、
とある全国放送のラジオコメンテーターとして、
「50年に1回の特別警報が年に3回も出るのは基準がおかしい」
と言っていた。
いや、これは全くおかかしくない。
当時、特別警報の区割りは全国50数区域で、
かつ、大雨、暴風など、事実上5種類の特別警報がある。
単純計算でも、
全国で年間5回程度発表される頻度となる。
単純計算とは、
サイコロの出た目が次の出目に影響しないような、
「事象が独立している場合」という意味。
気象現象の場合、
どこかで特別警報が出るような状況ならば、
周囲も似た状況である可能性が高く、
同時に数か所で特別警報が出てもおかしくない

この意味でも、年に3回発表されたところで、
何もおかしくはない。
報道トップでもこのような誤解をしているのだから、
一般市民においておや、である。

現在では、特別警報は市町村別に発表できるようになり、
「府県程度の広がりをもつ」という条件が事実上なくなり、
当然発表回数はもっと増えることになる。


さて、今回の広範な豪雨に伴い、
複数の府県に特別警報が発表された。
特別警報が発表されるときは、
50年に1度程度のかなり異常な状況であり、
直ちに命を守る行動に出なくてはならない
しかし、特別警報が出ていないからといって安心ではない
警報が出る段階で、重大な災害が起こる可能性はあるのだ。
なぜなら、そもそも警報とは、
重大な災害が発生する恐れがある旨を
警告するために発表するもの
だからだ。
国民の何%がこの意味を知っているだろうか。


ところで、特別警報が出た時に、
或いは避難勧告、避難指示が出た時に
どうしたらいいかわからない
、という声をよく聞く

誠に残念な話だが、
こういった人が減らないと、
どんなに防災のハードやソフトが整備されても
気象災害による命の犠牲は減らないだろう。

現実問題、取るべき行動は個別に、
また、状況によって異なるから難しい。
特別警報が出たからといって、
後述するように、当該地域にいる人全てが
何らかの行動をとらなくてはいけないわけではない。

個人の防災行動には準備が必要である。
よく「避難場所を確認しておけ」といわれる。
もちろん確認して覚えておくことは必要だが、
その避難場所は唯一絶対ではない
地震には強いが洪水には弱い避難施設があったり、
洪水(浸水)の心配はないが、
土砂災害の恐れがある施設もあるだろう。

災害の種類によっても避難場所は異なる
し、
元気な人や、体が不自由な人や病人など、
その人の状況によっても異なる
だろう。
避難経路も一通りではない
し、
状況によっては使えない道もあるだろう。
自宅内で上の階に避難、ということもあり得る


また、同じ人でも、自宅、会社、出かけ先等、
居場所によっても当然避難先は異なってくる
災害時の夜の外の移動は危険も多い。
時と場合によって正解は変わってしまう
のだ。

例えば、場所に関して言えば、
だだっ広い平野部で、傾斜地がないような場所では
土砂災害は起きようがなく、
当然、その種の特別警報がでても避難する必要はない。
しかし、平野部であっても、河川が近くにあれば、
浸水等の災害の恐れがあり、
その種の特別警報、いや警報が発表された段階で
避難を検討する必要がある。
前もって、
自宅などが、どの種の災害に対して危険なのか
その危険度はどの程度なのか
事前に
調べておくことが肝要
なのだ。

このように、場所、個人の状況、家族構成等々により、
適切な避難場所、避難のタイミングなどは異なる。

だから、誰かの指示を待つのではなく
自分で
調べ、考え、備え、判断し、行動しなくてはならない。
個別に異なることは誰も教えてはくれないのだ。

どんなに本や、インターネットや、セミナー等で学んでも、
それらは一般論に過ぎず、
個別の事情など考慮されているはずがない。

避難指示が出るのが遅かったとか、
まだ特別警報が出ていなかった、
ダムの管理がおかしいなど、
他人(ひと)に責任を押し付けるような人
や、
他人発信の情報を待っているような人
犠牲になりやすい
公的機関などからの情報を漫然と待つのではなく、
自ら
危険に晒されない範囲で情報を集め
状況に応じた判断をし、行動をすべきである。

これも一種の“ソフト”に入るかも知れないが、
こういった市民の意識改革や、そのための啓蒙も、
防災ハード、ソフトの整備に加えなくてはならないと思う。

避難場所を教えて、では困る

その日その時によって正解は異なるのだから。
自分で(特に自宅や会社からの)
避難場所や経路を予め調べ、
いろいろなケースを想定して必要な準備をしておく。
そして、不幸にして被災しそうになったら、
或いは被災してしまったら、
自ら考え、判断し、行動しなくてはならない。
そして、判断を誤らないように
必要最小限の知識を普段から身に着けるよう
努力する人こそが自分や他人の身を守れることだろう。

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2018年6月12日 (火)

梅雨のはなし

「東北北部も梅雨入りしたとみられる」との発表があった。

ところで梅雨とは何だろうか。

梅雨とは、うきうきしない“雨季”である。
日本は梅雨どき以外も結構な雨が降るので、
雨季と言われてもピンとこないが、
平年値でグラフを作ってみると
明らかに前後の時期より雨は多いし、
日照時間は少ない
しかし、毎日雨が降るわけではない。
他の時期より“比較的”に多いだけだ。

北海道では梅雨の入り、明けが発表されない。
蝦夷梅雨という言葉があるように、
北海道にも梅雨っぽい天候がないわけではないが、
梅雨どきと、その前後の時期との雨量の差が
他の地域ほど顕著ではない
からだ。


梅雨入り、梅雨明けは、
一つの日だけが発表されているが、
気象庁のWEBページには
<梅雨は季節現象であり、その入り明けは、
 平均的に5日間程度の「移り変わり」の期間があります。
 ここに掲載した期日は移り変わりの期間の概ね中日
 示しています。>
とあり、明確な境目の日ではない。

「梅雨入りしたのに、雨降らないね」
といった話をよく聞く。
(今年ではなく、例年のこと。)
天気は変化するものだ。
風も気温も一定ではなく、
天気も晴れたり曇ったり雨だったり。
それは梅雨どきといえども同じこと。
梅雨どきでも晴れる日はあるし、
晴れが数日続くことだってある。
気象は、変化が当たり前なので、
梅雨入りしたからといって
雨が降らない日があっても何もおかしくない。


ところで、事典などを見ると、
梅雨前線小笠原気団とオホーツク海気団の間にできる」
といった説明が殆どだ。
間違いではないが片手落ちだと私は思う。
オホーツク海気団は、
流石に西日本以西には勢力が及ばないので、
西日本以西の梅雨前線の説明としては不十分だろう。
小笠原気団と長江気団の間」を補うべきだと考える。

このため、梅雨前線は、
東日本・北日本と、西日本以西では性質が違う。
東日本・北日本では、
前線の南北とも湿っているが気温差が大きい

西日本以西では、
前線の南北の気温差は小さいが、
水蒸気量が大きく異なる


実はこのことを天気図から読み取る問題が、
気象予報士試験(実技)に何度か出題されている。

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2018年5月 7日 (月)

紫外線のはなし

5月は紫外線に要注意だ。


黄砂など空気の透明度を無視すると、
紫外線が最も“強い”のは
太陽が最も高い夏至(6月20日頃)である。
5月はその隣の月なので、
7月と同じくらい紫外線は相当に強く、
晴れていればもちろん、曇っていても注意が必要だ。
夏とは違って5月は紫外線対策を忘れがちなので
尚更注意が必要である。

“月毎”の紫外線“量”は
6月は梅雨と重なって晴れる日が少ないため、
比較的晴れの日が多い5月の方が“多い”
瞬間の“強さ”は6月が一番強いが、
天気を考慮した長時間(1か月)の合計量
5月の方が多いのだ。

“強さ”と“量”を混同・誤解した資料もあるので、
紫外線に関する資料を見るときは注意していただきたい。
強さと量の違いがよくわからない人のために、
わかりやすい例を挙げれば、
蛇口をひねった時の水の勢いが強さ、
溜まった水の量が量だ。
 <量>=<強さ>×<時間>
である。

紫外線の“強さ”は気温とは関係ない
紫外線は太陽から放射されるので、
放射強度が問題なのであり、
地上の気温は関係ない。
5月の紫外線はそこそこ強いうえに
晴れの日が多いので要注意ということだ。

夏にばかり紫外線の注意喚起が多いのは、
紫外線の強さもさることならら、
暑くて、素肌の露出が多くなるからである。
5月は肌の露出は少ないが、
顔などは露出されているわけで、
紫外線に対するケアを忘れないようにしたい。


紫外線対策で
気を付けなければならないのがサングラス
黒くて(可視)光を通しにくいことにはあまり意味がなく、
(紫外線に関して)大事なのはUVカット率
これが低いと、暗さのために広がった瞳孔に、
カットされない紫外線(赤外線も)が沢山入ってくるので、
かえって目を傷める。
見た目の暗さ(可視光線カット率)より、
UVカット率、赤外線カット率の高いグラスを選ぶべきである。


紫外線は、積雪地域でも要注意だ。
紫外線の雪による反射、
特に新雪による反射率は非常に高い
雪焼けという言葉があるが、
ゲレンデなど白い雪の上にいるときも日焼けに注意が必要だ。
下からの紫外線が強いからだ。
冬の紫外線強度も夏の半分くらいはあり、
反射を合わせると夏と大差ない。
山の上は(高いところほど紫外線が強いこともあり、
冬や登山では、顔しか外に出ていないだろうが、
紫外線対策を怠らないように心がけて欲しい。


日焼け止めクリームの正しい使い方は、
数時間に一度塗り直すことが必要など、案外難しいようで、
効果の程度とか、対象となる紫外線の種類など、
商品ごとに各自調べて正しく使って欲しい。

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